本記事ではこのような疑問に答えていきます。
こんにちは。Jonです。
日本の村社会文化に、苦しんでる人は多いです。
10年にわたる義務教育の末、多くの人が「無難に村社会で生きる方法」を身につけてます。
しかし、現代ではもはや、その方法も限界に来てます。
現に、いじめによる自殺、ブラック企業のパワハラ、過重労働による自殺などの問題は絶えません。
今回は、今の時代に適応した「日本という村社会の生き方」について、まとめます。
日本という村社会の攻略法【結論:村は無限にあるので、移動しよう】

日本の村社会文化の攻略法は、キツイくなったら村を移動することです。
「当たり前」と思うかもですが、なぜか多くの人が、できません。
「村社会って具体的になに」という疑問もあると思うので、解説します。
なお、ビビるレベルで的を射ていたので、Wikiから引用します。
* 所属する「村」の掟や価値観・しきたりが絶対であり、多様性や少数派の存在自体を認めない。
* “掟”に関与しない世間一般のルールやマナーは守らず、他者にも強要。無法状態と化している。
* 出る杭は打たれる。長い物には巻かれ、流れには棹を差すべし。寄らば大樹の陰。義理と人情。横並び。
* 排他主義に基く仲間意識が存在する。
* 被害に遭った人が責任者を責めると、大勢で被害者を叩き、問題には触れず、無かったことにする。
* 自分逹が理解できない『他所者』の存在を許さない。
* 同郷者に対しては「自分達と同じで当たり前」という意識を抱いており、自我の存在を認めない。
* 傍目には異端者に寛容だが、相手を理解しているのではなく理解できるものに「改造」しようとしていたり、特例で見逃されているだけであったりする。
* 立場が弱いと規定したものに対しては、陰湿且つ徹底的に圧力を加える。
* 構成員は陰口を好む。(“放送局”的存在の主婦が必ずおり、ある家庭での出来事―進学先・就職が決まった、勤務先、子・孫が生まれた、大病をしたなど―は1週間あれば集落全体に知られる)
* 有形物のみならず時間や空間に対する共有意識も強く、プライベートやプライバシーといった概念も無い。
* 事なかれ主義が多い。
* 噂話に対しては、真実かどうかを深く追求しようとせず、噂を既成事実にしようとする。
* 実質的なメリット。街全体の利点より、個人の面目や付き合いの平穏を大切にする。
これらが「村社会」の特徴です。
ブラック企業、小中高の教育、その他共同体などで、どれも感じたことがあるんじゃないでしょうかね。あるいは、被害者の方もいるかも。
村社会を無難に生きることは、地獄を招く可能性アリです。
僕たちは、「みんなと同じことをしなさい」という義務教育を10年にわたり経験し、「無難に村社会を生きる方法」を植え付けられていますね。
このような「一つの村社会で、生きなきゃいけない」という思い込みは、「会社がきつすぎて、死にたい」と考え自殺したりとか、「あの女の子より、可愛い子はいない」と考えストーカーになったりとか、最悪の結末を招きがちです。
本当は、会社がきついなら、別の会社に行けばいいし、一人の女の子に相手にされなくても、他にも可愛い子はたくさんいますよね。
「一つの村社会で生き続ける」という思い込みの中では、こういった視点を、なぜかみんな持てない。あるいは、持っていたとしても、実行しません。
村は無限にあり、キツイなら移動すればOK
解決法です。
世の中には、村は無限にあるので、キツイなら移動しましょう。
考えてみてください。世界に国は196あり、人口は70億人もいて、日本内でさえ都道府県が47あり、国内だけで会社の数は500万以上、大学は770ほどもあります。
そんな中、たった一つのコミュニティ、たった数十人の周りの人だけに、人生を振り回される必要なんて、ないはずです。不自由すぎて、どう考えても苦しい。
でも、多くの人は、自分で自分の首を絞め、こういった状況になってるんです。
世界は、もっと自由ですよ。
だから、一つの村が、どうしてもキツくなったら移動しましょう。
世界には、あなたにあった最高の村が、絶対にありますよ。
ここから「それじゃあ、一つの村社会で自分らしく生きる方法ってないの?」ということまで、掘り下げていきます。
村社会で自分らしく生きるには「フラグ」を折りましょう

村社会の中で、自分らしく生きる方法は「フラグを折る」ことです。
例えば、こんな話があります。
終戦直前、護衛戦闘機もなく沖縄へ出撃した戦艦大和は、アメリカの戦闘機の波状攻撃を受けて戦果なく撃沈されました。無謀な作戦の理由を聞かれて、軍令部次長だった小沢 治三郎中将はこう答えたと言います。
「全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う」
かつて、多くの死者を出した特攻の根拠はデータも統計もない、ただの「空気」でした。もし、あなたがこの時代に生まれており「集団の方針には何でも従う」という考えだとしたら、命を落としていたでしょう。
戦争のない今の時代では「命を落とす」なんてことは稀ですが、サラリーマンとして生きる「企業戦争」の中でも、自分を重んじて時には空気を読まず、フラグを折ることも大事です。
つまり、「会議では、新人が発言しちゃいけない空気」だろうと、言いたきゃ言う。
「無難にいけば、俺はあの部署に異動だろうな、という空気」だろうと、嫌なら断る。
それが、現代的村社会の生き方だと、確信しています。
少し哲学的ですが…状況倫理を捨て、固定倫理を持ちましょう
このような生き方をするためには、状況倫理を捨て、固定倫理を持ちましょう。
- 状況倫理:状況によってコロコロ変わる倫理観
- 固定倫理:常に固定されている倫理観
両者の違いを具体的に説明します。
例えば日本では、赤信号の場面でも、「車が通っていない状況」であれば、渡ってOKという価値観があったりします。このように、状況によって変わる倫理を「状況倫理」と言います。
一方、アメリカなど欧米では「いかなる場面でも赤信号は渡ってはいけない」というルールが、あらゆる場面で適用されます。日本とは対照的に、これを「固定倫理」と言います。
日本企業に入ると、上司のパワハラは「まぁ、あの人はそういう人だから諦めるしかないね」という空気があります。部下を殴ろうと、休日出勤を強制しようと、「あの人の言うことは従おう」となるわけです。
これは、代表的な状況倫理です。
一人の人間として対等であれば、「パワハラする奴となんて、付き合わない」というのが、正しいはず。例えば、学生時代に、自分勝手で、すぐ他人に暴力を振るう人と、友達になりませんよね?けど、社会では何故かそうはならない。「アイツを利用しよう」という戦略があるならまだしも、ただ気が弱いがために、そういうパワハラを容認するのは、おかしいですよね。
状況倫理に支配されると、客観的にみて狂った状況でさえ、受け入れてしまいます。
だから、行動原理は「固定倫理」に従うのが、良いですよ。
まとめ:フラグを折り、キツければ逃げましょう
最後に、本記事のまとめです。
- ①村は無限にある、キツければ別の村に逃げよう
- ②一つの村で自分らしく生きるために、フラグを折ろう
- ③行動原理は「固定倫理」に従おう
とゆーわけで、今回は以上になります。
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