本ブログを除きに来ていただき、誠にありがとうございます。
運営団体 | 「海外FX事務所」運営グループ |
代表者 | ジョン |
賛同団体 |
- 2020年4月に、新卒から2年務めた会社を辞めました
- サラリーマン時代はインフラエンジニアをしていました
- 以来、フリーランスとして活動してます
- ブログ運営とFX、動画制作で生計を立てています
- 2020年5月現在の収入は月200万円ほどです
フリーランスになった後は、ほぼ家に引きこもりながら仕事&ゲームといった生活を続けてます。快適な生活を送っているように思われるかもしれないですが、割とここまでは苦難がありました。
そこで▶イジメられた新卒1年目▶副業を始めた2年目▶現在、といった流れで経歴をお話させてください。
【サラリーマン時代のお話】文系からエンジニア就職しました
大学では5年間、語学を学びました。ただ「かっこいいから語学」という理由で入学しまして…卒業した時も語学スキルはからっきし。
人と話すのも別に好きではないし、仕事は稼げて需要があるのモノが良い、そんな思いでエンジニア就職したわけですね。留年しており就活を2回やったのですが、趣味でアプリを作っていたりしていたため評価してくれる企業さんも多くて、いわゆる大企業に就職できました。このとき「マジでスキルがモノを言う世界だなぁ」と実感しました。
正直「サラリーマンは稼げない」と知っていたので、喜びはあまりなかったですが、初めて経験する「社会人」とゆーものに不安を持ちつつも心躍っていたなぁ、と今思えば感じます。
プログラミング希望だったものの…希望外の部署へ
入社後はあっという間でした。3か月の研修を終え、いよいよ配属発表の日がやってきます。
3か月間、この日をどれだけ待ったことか。やりたい仕事が遂に明日からできる…!!そのための根回しもやった…!
それまで人事には再三「WEBでもアプリでも構わないからプログラミングがしたい」と伝えており、同期の人数も30人そこらだったので「まぁ希望通りになるだろう」と安心しきっていました。
「サラリーマンというものは甘い世界ではありません。理不尽です。」こんなよく聞く常套句もありますが、ぼくのサラリーマン人生において、これを象徴する最初の出来事が起こります。
、、、最後の研修が終わりいよいよ配属発表が始まります。30人の同期、1人ずつ名前が呼ばれ、配属部署が発表されます。
「じゃあ次、ジョン君」、ついに僕の番が来ました。「ドクッ…ドクッ…」緊張に弱い事もあり、心臓音が鼓膜にうっすら響きます。緊張するのも証がありません。
ようやく明日から、やりたい仕事ができるのだから!!!!
——
「ジョン君。きみ、今日からインフラエンジニアね。セキュリティとかネットワークとか、初めてだろうけど頑張って。大丈夫、皆優しいから!」
——
ぼくは、絶望しました。
大声罵声上司が登場、トイレで吐き、泣く
昨日の部署発表があり、ほぼ生気が抜けた僕。ただ、仕事は待ってくれません。
先輩や上司へのあいさつもそこそこに、早速業務開始です。落ち込んでいる暇もなく、気合を入れなおします。最初の業務は「稟議申請」。いわゆる「ハンコ」をもらうために、社内へ申請する業務ですね。
マニュアルを見ながら進行します、、、がいかんせんマニュアルが古い…WEBアプリで稟議申請をするのですが、アプリが最近アップデートされており、マニュアルが旧バージョンのモノだったのです。
「すいません。~というわけでマニュアルが古いようです。やり方教えてもらってもよろしいでしょうか」。ぼくは”教育係”の人に相談します。外見はメガネをかけた50歳前後の気さくなおじさん、以後はイニシャルを取ってOさんって書きますね。
ぼくが声をかけると、周りと談笑していたOさんがパッ…と笑顔を消し一言「はぁ?そんな当たり前のこと聞くなよぉ?」。ちょっとビックリしたので、ぼくは「すみません。」と一言、そのあともう一度事情を説明し、お願いしてみます。
Oさんは、ぼくが事情を説明しているとき、一度もこちらを見ません。目線はデスクのモニター、キーボードでず~っとカタカタ文字を入力しており、相槌もありません。そしてぼくの説明が終わった後、Oさんは見下したような小声で、こちらを一瞥もせずこう言います「A君が知ってるから、そっちに聞いて」。
Aさんは新卒5年目の先輩です、今思えばぼくが一番お世話になり、最も尊敬している先輩でした。とゆーことでその場は、Aさんに相談し、事なきを得ました。Oさんがぼくの教育係のはずなのに、よく分からんなぁ、とこの時は思っていました。
ただ、「あの人はあんまり関わりたくないな」というのが初日のOさんへ抱いた感想です。そして、何かイヤな予感を残しつつ、配属初日の業務を終えました。
その後、ぼくは分からないことがあったときは率先してAさんに相談するようにしました。Oさんに別のことを相談しても、決まってAさんに聞くよう促されたからです。Aさんは優しく、笑い上戸で、何より頭の回転がとんでもなく速いです。
「議論でこの人に勝てる人は会社にいないんじゃないか…」このレベルです。エンジニアなのに、客先の打ち合わせでは営業より話すし、お客さんと打ち解けるし、追加の案件は取るし、ネットワークやセキュリティの設計つまりは技術スキルも完璧です(イメージは2chのひろゆきさんみたいな感じでした)。
最初はAさんと仕事を一緒にさせてもらえる機会が多く、楽しくも多くを学べた有意義な時間でした。しかし、Aさんと打ち解けてきた一方で、あるときから僕の”教育係”による、地獄の日々が始まることになるのです…
ある日、いつも通り出社すると席にはOさんしかいません。ぼくとOさん、席は2つ隣で、周りには誰もいない状況、このときOさんが声をかけてきました。もちろん、ぼくの方は見ず視線をモニターに向けながら「ジョン君さ、教育係は僕なのに、なんでA君に質問してんの?はぁ…なぁんでそういうことするかなぁ。」
正直カチンときました。が、Oさんに何も言わず直接Aさんに質問してたのは事実、とりあえず「すみません」と謝っておきました。Oさんは相変わらず僕を見ず「あのさ、分からないことがあったら何でも俺に聞いてよ。気軽に聞いていいから。」と優しめの口調で言ってきます。
配属初日に「そんな当たり前のこと聞くなよ」と言っておきながら、「何でも気軽に聞いていい」って…どの口が言ってんだよ!!とは思いつつ、これをきっかけに今後はOさんが第一の相談先となりました。
この出来事の後、Oさんは相変わらず僕を一度たりとも見ないし、イチイチ見下し気味の嫌味を交えてはくるものの、ぼくの質問に対して回答はしてくれるようになりました。
ただそこから、Oさんからのアタリがさらに強くなっていきます。
その後、Oさんがメインで進めている「とある企業のネットワークセキュリティの構築」にぼくがアサインされました。メンバは僕とOさんの2人だけです。もちろん、Oさんと一緒に仕事はしたくなかったですが、進言できず…地獄はここから始まります。
まず最初にOさんから案件の説明がありました。ぼくが文系出身、IT知識はプログラミングしかない、さらには配属されて数ヶ月しか経ってない、このことはOさんも知っているはずですが、案件の説明では専門用語のオンパレードです。Oさんは、説明を止めず、淀みなく淡々と話し続けます。
「ここはインラインでLB(エルビー)を設置して、L2(エルツー)とL3(エルサン)セグメントは分けます。○○さん(多分、客先の偉い人)は同セグで良いのではないかと言っていましたが、既存環境に合わせるので別セグにします。それから~…」
正直、何が何だかわかりません。これを全部聞き取って、メモを取らなければなりませんが、Oさんは早めに話すし、そもそも自分が知らない用語をメモするのはメチャクチャ難しい。なにより、Oさんはお願いしても話を止めないのです。なので、Oさんが話している間は必死にメモを取るしかありません。あとで質問できるように、それこそ死ぬ気で。
こんな感じで、打ち合わせという名の「Oさんの独演会」を終えた後しか、ぼくに話を聞く権利はありません。そしてメモの内容を調べたのち、それでもわからなかったモノを抜き出し、Oさんに質問しに行きます。
「すみません。先ほどのお話の中で~といった部分が理解できなかったのですが、もう一度ご教授いただけますでしょうか。」
、、、相変わらず、Oさんは僕を見ません。そして5秒ほどの間の後、「あのさぁ…一度説明したことを聞き直すなよ!ちゃんと聞いておけよ!何のためのメモだよ!」オフィスがオープンスペースになっており、他部署にまで届く大声で、いきなりOさんが怒鳴ります。
このとき、ぼくの心の中で何かが崩れました。「あ、絶対コイツとは二度と仕事したくない」本能的にそう感じたのだと思います。しかし、会社にいてはそれは許されません。一度アサインされた案件から新卒1年目の若手が勝手に抜けることなど、できなかったのです。つまり、ぼくにはこのOさんからの仕打ちに対して抗うすべがなく「我慢する」という選択肢しか残されていなかったのです。
頭に血が上りすぎていてあまり覚えていませんが、その後5分ほど怒鳴られ続け、結局回答は得られないまま、席に戻されました。そしてOさんは、さらに新しいタスクを僕に押し付けてきます。ネットワークセキュリティの知識は少なく、経験ゼロのぼくが、いきなり見たことも聞いたこともない機械の設定を任されます。もちろん、マニュアルもないし、あるのはOさんが作った設計書だけです。その設計書の見方についても、何の説明もありません。
「ぼくの知識も経験もないし、さすがに説明なしじゃ出来るわけがない。」明らかにそう判断できたため、Oさんにキレたい気持ちを抑えて、再度質問に行きます。「すみません。さきほど依頼していただいた~についてですが….」
、、、するとOさんは明らかに不機嫌なまま、再度5秒ほど間を置きます。するといきなり大声で「共有フォルダを見ろよ!!ここにマニュアルがあるだろ!?探したか?ちょっと考えればわかるだろ普通!」
共有フォルダ内には、1000以上のファイルが置いてあり、ファイル名も適当、整理もされてません。そもそもフォルダの場所を、ぼくは教えてもらってません。ただ、ぼくに取れる手段は「我慢」しかありません。ぼくはこの時も我慢してしまい「すみません」の一言で済ませてしまったのです。あまりの悔しさに、今でも鮮明にこの時のOさんの顔、自分の気持ちが思い出せます。
そのあとぼくはトイレに行って、泣きました。周りの目を気にしなければ、Oさんに反論したり、殴ることもできたはずです。でも我慢してしまった自分が情けなくて、悔しくて泣きました。なにより、あんな奴のために自分が苦しんでいることが、死ぬほど悔しくて、涙が止まらなかったのです。
そのあとぼくは直属の上司に相談し、案件から外してもらい、Oさんとの席も離してもらいました。今思えば、まだ幸いだったのかもしれません。ぼくの申し出を拒否するような上司であれば、もしかしたら鬱病になり取り返しがつかないことになるかもしれなかったですから。
これ以来、ぼくはOさんのことは完全ムシ、プライベートはもちろん以降一度も仕事上関りを持ちませんでした。
悪意なのか、自尊心なのか、支配欲なのか、何がOさんを突き動かしているのかは今になってもわかりません。「自分は絶対」で「他者の意思を許さない」それも若手に対してだけ、20年生きてきたぼくの人生でこれほど捻じ曲がった人間に会ったことはなかったですが、社会に出ると一定数そういった人間がいる、これがサラリーマン時代に学んだ最高の教訓です。
そして「サラリーマンを辞める」と心に決めます。
というわけで新卒2年目に入った2019年4月1日から、副業としてブログ運営を始めたわけです。
【副業開始】最も充実し、最も大変だった1年
2019年4月から、ぼくは副業をはじめました。大学生時代から趣味だったFXはもちろん、心機一転ブログ運営に取り掛かりました。ブログを選んだ理由は、友達がブログ3ヵ月目にして月200万ほど稼いでいたこと。その友人は特段優秀なわけではなく、「じゃあぼくもいけるだろう」となんとなく自身が湧いたからです。
けど、世の中そう甘くはないですね。思い通りには稼げません。会社で働きつつ、平日は毎日5時間ほどブログに費やしましたが、3か月後に稼げた金額はほんの3万円ほどでした。
ただそれでも、自分の力で月3万円の収入を作れたことは非常に嬉しかったです。サラリーマンで給料を月3万円も上げるには、少なくとも1年はかかるはず。それを3か月で達成できたのですからね。
そして思考停止でとにかく量をこなすだけだったブログ運営が、そこから徐々に改善していきます。ぼくが学んだのは、SEO、マーケティング、セールスライティング、それに伴う心理学です。具体的にはPV数を上げずとも、収益が上がる仕組みづくりに取り掛かります。つまりはCTRとCVRを最大化し、ほんの数人から継続的な収益を上げることです。
そこから約半年かけて、この仕組みづくりに取り掛かりました。その経過で有料noteの販売やSNSマーケティングを実践し、自分のスキルを常に試していました。サラリーマン業が忙しいときは残業100時間の月もアリ、死ぬほどきつかったときもありましたが、会社の近くに引っ越して終電をなくし、それでも平日5時間の作業は怠りませんでした。
その結果、副業開始10か月後にはブログ収益が30万円を超え、「サラリーマンを辞める」この決心を2020年4月、遂に実行することができました。
上記ブログ(当ブログとは別です)は2020年5月現在でも月3000PVほどですが、100万円前後の収益を毎月ぼくにもたらしてくれます。
【最後に】当ブログについて
最後に、当ブログの内容、そして始めた理由についてお話させてください。
上述した話の中でもありましたが、ぼくは大学1年生の時からFXをやっています。「お金持ちになりたい」この欲望があふれ、人生で最初に始めた取り組みがFXです。そこから7年、今でもFXを続け、もはや僕にとってはゲームと同じ、趣味になりつつあります。とはいえ、こちらは月に50万円~100万円ほどの利益で、まだまだ初心者の域を出たものではありません。
そこで、自分のこれまでの経験、スキルをアウトプットする場所を求めて始めたのが、当ブログです。初心者の方の役に立つ情報を発信しつつ、玄人の方からは「それ、間違ってるよね」と意見を頂く場が、ここです。
「お金を稼ぎたい」「FXを始めたい」こういった方に社会貢献しつつ、自分のスキルも高める。ぼくにとって当ブログは、そういった場所です。
1年かけて培ったブログスキル、7年の努力があるFXスキル、双方をフル活用し日々記事を更新しています。まだまだ見てくれている方は少なく、発展途上のブログではあります。1年後、2年後、あるいはもっと先に必ず本ブログが大きくなることを信じて疑わず、これからも精進していきます。
最後に、小さな個人ブログにもかかわらず、こんなぼくのプロフィールを最後まで見ていただき、ありがとうございました。
ぜひぜひ、今後ともよろしくお願いいたします。