「できない」と言わないだけで、道が開ける
僕はこの言葉が大嫌いだ。そんなことを口にしているから、なにもできなくなるのである。
恐ろしいことに、「できるわけがない」と自分の意思を否定し続けていると、人はいつの間にか簡単なものごとまで「できるわけがない」と思い込むようになる。
無気力人間のできあがりである。
でも、最初からなにかをできる人間などほとんどいない。できなくてあたりまえだし、いきなり行動できなくてもいい。若者に多い「やりたいこと」なども、別に見つからなくてもいい。
それよりも、なぜ自分は「できるわけがない」「やりたいことがない」と思ってしまうのかという、その理由を考えよう。すると、おのずと答えはあきらかになるはずだ。
そう、知識が足りないし、やり方がわからないのだ。
つまり、情報が不足しているだけなのである。
そして、いま、情報はほぼ無料でいくらでも手に入る時代になっている。
「捨てる」ことのススめ
ここまで、身のまわりにある、さまざまなものを手放すことをすすめてきた。もちろん、僕は「とにかくすべて捨ててしまえ」と主張しているわけではない。
あくまで僕の場合は、そうすることで自分のための時間を生み出すことができ、行動するスピードも増していったので、みなさんにもすすめているだけだ。別にひとつくらいは、なにかにこだわって身のまわりに置いておくものがあってもいいだろう。
ただし、忘れてもらいたくないのは、そうしたものは、容易に「執着」に変わるということだ。
お金、結婚、人間関係、過去の思い出……。ほかにもたくさんあるが、それらが執着に変わると、あなたのポジティブな行動を妨げるようになる。結婚すると安心できるかもしれないが、自由は大幅に制限されていく。過去の思い出は心を癒やしてくれるかもしれないが、現在の行動にブレーキをかけることになりかねない。
つまり、心があるものごとに占められると、そのぶんあなたの自由はなくなっていくのである。
誰しも、成功や幸福を願っていることだろう。しかし、一般的によいこととされている、成功や幸福を目指すことすら執着となって、あなたの自由を縛っていく。
だからこそ、自由に生きたければ、なにかの思考に囚われてはいけない。もし、自らの意志でそれをコントロールすることがむずかしいと感じるなら、とにかく行動しよう。やりたいことにすぐ飛び込もう。動き続けよう。
将来をあれこれ不安に思うこともまた、執着に過ぎないのだから。
「変えたいのにやらない」人は「変えたくない」
「運動したいが、時間がない」
「英語を話したいけど、わたしには才能がない」
「世界中を旅行したいと思うが、お金がない」
このような言い訳を、あなたも一度はつぶやいたことがあるのではないだろうか?
そこで、僕が聞きたいことはひとつだ。
そのままが嫌なら、なぜそれを変えないのだろう?
僕は、人間は自分で思う以上に合理的な行動を取る生き物だと思っている。つまり、「変えたいけどできない」というのは、本当は「変えたくない」のだ。たとえ意識していなくても、無意識のうちに現状維持を選んでしまっているのである。
コメントを残す