「できるわけがない」という言葉
「できるわけがない」
僕はこの言葉が大嫌いだ。そんなことを口にしているから、なにもできなくなるのである。
恐ろしいことに、「できるわけがない」と自分の意思を否定し続けていると、人はいつの間にか簡単なものごとまで「できるわけがない」と思い込むようになる。
無気力人間のできあがりである。
でも、最初からなにかをできる人間などほとんどいない。できなくてあたりまえだし、いきなり行動できなくてもいい。若者に多い「やりたいこと」なども、別に見つからなくてもいい。
それよりも、なぜ自分は「できるわけがない」「やりたいことがない」と思ってしまうのかという、その理由を考えよう。すると、おのずと答えはあきらかになるはずだ。
そう、知識が足りないし、やり方がわからないのだ。
つまり、情報が不足しているだけなのである。
そして、いま、情報はほぼ無料でいくらでも手に入る時代になっている。
暇だと、ゴミのような感情があふれ出す
脳は退屈が嫌いだ。「何も新しいことを考えるな」と命じられると、手持ち無沙汰のあまり、思い出を材料に「不安」「焦り」「嫉妬」といったゴミのような感情ばかり作り出す。逆に、考えるネタをふんだんに与えれば、「楽しい、もっとやりたい」という感情を放出する。子どものように単純なのだ。
安い仕事で我慢している人たちは、すごく迷惑な存在
「食べていくために」安い仕事で我慢している人たちが、実は経済発展において、大きなネックだ。低い待遇で働こうという集団がいる以上、労働単価は上がらないのだ。言葉を選ばずに言うけれど、すごく迷惑な存在だ。
「こうあるべき」という妄想に、意味もなくとらわれている人が多すぎる。
働くとは、辛いこと。そんなこと誰が決めたのだ?
遊んで暮らしてもいいし、遊んで食べていける環境はもう整っているのだと、どうして気づかないのだろう?
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